マケドニア人から 「足るを知る」
2007年 01月 27日
正味・三日間の日本出張から戻ってきた。
今回はいつもと違って変り種の人たちと一緒にいった。
マケドニア人。
マケドニアの投資誘致担当大臣と国営電力会社の会長から、マケドニアに興味のありそうな会社の幹部を紹介してほしいといわれた。
1月はかなり忙しいので、最初は「外務省に頼んではどうですか?」といって断ったのだが、なんでも民間会社の紹介はしない、と断られたらしい(本音の部分では、マケドニアに興味のある会社を見つけるのが難しいと判断したのかもしれないが)。いずれにせよ、引き受けた以上は、精一杯アポいれをやろうと気合をいれたのだが、最初に連絡した商社は全滅した。商社はまず大丈夫とおもっていただけに、ちょっと吃驚した。仕方ないので、自動車関係の旧知の経営者の人たちに無理にお願いしてアポをいれた。それから、金融関係のアポも運良く入り、東京と名古屋の街を駆け足でまわってきた。
時差ぼけ調整に失敗し、ほとんど三日間眠らなかったのだが、そのせいか、「気づき」があった。旧知の大富豪の知人の家で夕食をご馳走になったのだが、その際、その社長が奥の深い質問をした。「君たちは野心にあふれているが、どうやってビリオンネアーになるつもりか?」と。このとき、生まれも育ちもアメリカの大臣は、沈黙した。だが、生粋のマケドニア人である、もう一人の男は、おもむろにこう言った:
「自分は既に、本質的な意味で、ビリオンネァだと思っている。なぜか?それは、平和で美しい国に住み、食べることにもこまらず、愛する家族に囲まれ、仕事も順調に進み、少なくとも、人生で何が一番大切かを身をもって知っているからだ」 と。
むろん、物質的な意味で、ビリオンネアであるわけではない。しかし、チトー大統領の亡き後、ユーゴスラビアは分裂し、(かつて同じ国だった)周辺国ではどこも血みどろの内戦を経験し、そんな悲惨な時代をへて、いよいよ平和の時代を迎えた今、先達の魂の叫びを背負っているからこそ、そんな風にに純粋に、だが自信をもって、幸せの定義を口にできるのかもしれない。もしかすると、我々の先達も、維新の頃、こんな感じだったのかもしれない。
彼の回答は、仏教でいう「知足、喜足」(足るを知る、足るを喜ぶ)に通ずる精神である。わたし自身も常に意識していたつもりだったが、最近、忙しさにかまけて心の片隅に不覚にも追いやっていたことに、ふと気づかされた。最近、日本では、特に若い人たちの間で、なんでも「カネ、カネ、カネ」という風潮があるようだが、平和だとか、小さな幸せだとか、そういう一見すると当たり前に思えることへの感謝の気持ちを忘れてしまうと、一寸先は闇かもしれない。
知足、喜足(足るを知り、足るを喜ぶ)。
● マケドニアについて→ http://tinyurl.com/2hljnu
今回はいつもと違って変り種の人たちと一緒にいった。
マケドニア人。
マケドニアの投資誘致担当大臣と国営電力会社の会長から、マケドニアに興味のありそうな会社の幹部を紹介してほしいといわれた。
1月はかなり忙しいので、最初は「外務省に頼んではどうですか?」といって断ったのだが、なんでも民間会社の紹介はしない、と断られたらしい(本音の部分では、マケドニアに興味のある会社を見つけるのが難しいと判断したのかもしれないが)。いずれにせよ、引き受けた以上は、精一杯アポいれをやろうと気合をいれたのだが、最初に連絡した商社は全滅した。商社はまず大丈夫とおもっていただけに、ちょっと吃驚した。仕方ないので、自動車関係の旧知の経営者の人たちに無理にお願いしてアポをいれた。それから、金融関係のアポも運良く入り、東京と名古屋の街を駆け足でまわってきた。
時差ぼけ調整に失敗し、ほとんど三日間眠らなかったのだが、そのせいか、「気づき」があった。旧知の大富豪の知人の家で夕食をご馳走になったのだが、その際、その社長が奥の深い質問をした。「君たちは野心にあふれているが、どうやってビリオンネアーになるつもりか?」と。このとき、生まれも育ちもアメリカの大臣は、沈黙した。だが、生粋のマケドニア人である、もう一人の男は、おもむろにこう言った:
「自分は既に、本質的な意味で、ビリオンネァだと思っている。なぜか?それは、平和で美しい国に住み、食べることにもこまらず、愛する家族に囲まれ、仕事も順調に進み、少なくとも、人生で何が一番大切かを身をもって知っているからだ」 と。
むろん、物質的な意味で、ビリオンネアであるわけではない。しかし、チトー大統領の亡き後、ユーゴスラビアは分裂し、(かつて同じ国だった)周辺国ではどこも血みどろの内戦を経験し、そんな悲惨な時代をへて、いよいよ平和の時代を迎えた今、先達の魂の叫びを背負っているからこそ、そんな風にに純粋に、だが自信をもって、幸せの定義を口にできるのかもしれない。もしかすると、我々の先達も、維新の頃、こんな感じだったのかもしれない。
彼の回答は、仏教でいう「知足、喜足」(足るを知る、足るを喜ぶ)に通ずる精神である。わたし自身も常に意識していたつもりだったが、最近、忙しさにかまけて心の片隅に不覚にも追いやっていたことに、ふと気づかされた。最近、日本では、特に若い人たちの間で、なんでも「カネ、カネ、カネ」という風潮があるようだが、平和だとか、小さな幸せだとか、そういう一見すると当たり前に思えることへの感謝の気持ちを忘れてしまうと、一寸先は闇かもしれない。
知足、喜足(足るを知り、足るを喜ぶ)。
● マケドニアについて→ http://tinyurl.com/2hljnu
by stevebrussels
| 2007-01-27 20:08